翻訳出版書

「ミドル・パッセージ」

―生きる意味の再発見―

ミドル・パッセージ―生きる意味の再発見

分析心理ドットコム

サイトの名前は、ユングの思想や理論が、他の精神分析の理論と区別して、とくに「分析心理学(Analytical psychology)」といわれることにちなんでいます。

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「私の一生は、無意識の自己実現の物語である。」こんな出だしで、ユングの自伝のプロローグは始まります。訳者の河合隼雄氏はあとがきで、この自伝がとても「特異」だと言っていますが、それは、ふつうの人が「自伝」と聞いて思い浮かべるようなことが、ほとんど書かれていないからです。80歳を過ぎてユングが書いた自伝ということで、たとえば、子だくさんのユングはどんなお父さんで、どんなおじいちゃんだったのだろうとか、長く連れ添った妻に先立たれたときのことは、どんな風に書かれているのだろうなどと期待して読んでも、そんなことはまったく書かれていません。「おいたち」のようなものでもなければ、時間軸に沿ったライフストーリーでもありません。

では一体、何が書いてあるのかというと、「ユングの無意識」の世界が語られています。

ユングにとって、日記的な回想録、つまり意識の世界の出来事をつらつらと表面的に記述することは、あまり価値のないことでした。人の一生は、地下茎によって生きている、地上の花に過ぎず、その地上の花は、ひと夏生きては枯れていく。そんなはかない一生が、人の数だけ存在するわけで、そのひとつの花についてあれこれ言うことには関心がない、と言うのです。

でも、たとえ花は枯れても地下茎は生きている。地上からは見えない根の部分は変わらない。―自分にとって話す価値のあることは、この「永遠の推移の下に生き、もちこたえている何か」についての感覚だと。

この「内的な出来事」にくらべると、ユングにとって、いつどこに行って何をしたとか、どんな人と出会ったとか、そんなことにはあまり実質がない、ということになります。だからといって、たとえば人間関係がどうでもよかったというのではなく、それが、自分の内界に深く刻み込まれたときには大きな意味をもっていたということなのです。

ユングの遺志によって、彼の死後の1962年に発行されたこの自伝は、その「特異さ」にもかかわらず、ヨーロッパ中にひろく読まれ、ベストセラーにまでなったということです。
それは、いつも花ばかりに目を向けているわたしたちも、どこかで地下茎の存在を感じているということだと思います。

この自伝にも少し出てくる、今まで未刊行だった「赤の書」は、2009年(邦訳は2010年)に出版されています。